November 16, 2011

母校

北区は駒込にあるミッションスクールの"聖学院高校"が我が母校 。
卒業以来初めて足を運んできました。

小ぶりな校庭と古い体育館だけが昔のままで、
天井が高く、床を磨くオイルの匂いが充満していた
外国風の古い建造物だった校舎が、、、ないw(汗)
なんと立派な近代的な校舎に変貌していたので
時の流れを感じつつ、、、唖然っw

自由奔放でやんちゃなのが集まったむさ苦しい男子校でしたが、
当時ギターにのめり込み始めていた自分にとっては、
軽音楽部には才能溢れる多くのキッズが在籍していた事もあり、
とても刺激的で特別な時間だったと思います。
我が強く「オレはオレ」的オーラを皆が発散しているという
自分勝手なのがよく集まって講堂で定期ライブをやっていたなと(笑)
バンドに明け暮れた高校生活を思い出し、感慨深いものがありました。

有志で集まった軽音楽部の1学年後輩達が文化祭でライブをやっていて、
そのライブも早10周年というので、その打ち上げにも参加☆
巣鴨の居酒屋さんはまだお昼のメニューの時間でしたが(笑)

そのメンツ、ココにご紹介しておきます。

石井明夫(V、G)←BAND of BAKSIS BAULS
西尾智浩(G)←元ZIGGY、高橋克典、TMR、田中雅之、など
橘和大介(B)← BOW WOWのサポートベーシスト(兼事務所社長)
岩崎倫巳(D)← The Outside Street
近藤一也(Per)

今年は多忙のため参加していませんでしたが、
高校時代に一緒にバンドをやっていた洞口信也(クレイジーケンバンド)も
たまに顔を出しているそうです。


追記

僕と同学年で軽音楽部の部長だったのが"ウイラード"の帯賀 淳。
高校2年の頃に、"ウイラード"の中島晋が白のGibson SGで
UFOの"Rock Bottom"をプレイしたステージは本当に素晴らしかった♫
この2人は当時からTHEスターでした☆

アナーキーのメンバーと交流のあった軽音楽部の先輩が、
アナーキーを校内定期コンサートに飛び入りさせたステージ以来、
軽音楽部は、パンク vs ハードロック、に完全分裂w
とてもインパクトのあるステージだったと記憶しています。
そしてそれが"ウイラード"誕生の原点であったと勝手に想像しています♫

そうそう、深町純さんのお父様が美術の顧問の先生でした。
息子さんがビリーコブハムとセッションしたと言うので、
それを聞かされた軽音楽部のドラマーは、
息子さんってナニモノ?、と目が点になっていました(笑)

ゴダイゴの浅野孝巳さんが卒業生という事で文化祭に遊びにいらして、
当時聖学院中学に在学していた天才ピアニストと呼ばれていた生徒と
ステージでセッションしたのには驚愕でした。

その天才ピアニストと呼ばれていた井上ヨシマサ氏は作曲家として数多くの楽曲を手がけ今でも第一線でご活躍なさっていると聞いています。

小室等さんも卒業生だったというのは最近知りました(大汗)